こんにちは、サナトです!
21年12月から公開された映画『マトリックス・リザレクションズ』を見てきました。印象に残ったポイントを備忘録的に書いておきたいと思います。当ブログはコンプレックスがテーマなので、映画レビューでも登場人物の課題感や欠落感にも焦点を当てていきます。
前三部作も含めてネタバレがありますので、もし観るつもりの方はご注意ください。
- 『マトリックス・リザレクションズ』を見終わって他人の感想が気になる方
- まったく作品を観る気が無いけど、感想だけは知りたい方
この記事を書くサナトは、こんな人間です

・過去1100冊ほどの本を読了、毎日何かしら本を読んでいます
・多数のコンプレックスと劣等感に苦しんだ経験あり
・コンプレックスを解消するヒントを本や映画からもらいました
『マトリックス・リザレクションズ』 ってどんな映画?
『マトリックス・リザレクションズ』の概要
公開日:2021年12月17日(日本先行公開)
監督:ラナ・ウォシャウスキー
あらすじと見どころ(シネマトゥディより引用)
ネオ(キアヌ・リーヴス)は自分の生きている世界に違和感を覚え、やがて覚醒する。そして、マトリックスにとらわれているトリニティーを救出するため、さらには人類を救うため、マトリックスと再び戦うべく立ち上がる。
斬新なアクションや映像表現でポップカルチャーに影響を与えた『マトリックス』シリーズのその先を描くSFアクション。再び、仮想世界=マトリックスから覚醒した主人公ネオが、マトリックスにとらわれているトリニティーを救うため、新たな戦いに身を投じる。主演と監督はシリーズ過去作と同様にキアヌ・リーヴスとラナ・ウォシャウスキーが担当。キャリー=アン・モスやジェイダ・ピンケット=スミスといった再登場のキャストのほか、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世やクリスティナ・リッチらが共演する。
シネマトゥディhttps://www.cinematoday.jp/movie/T0026686
1作目の続編、という触れ込みでしたが、実際は前三部作を観ていないとまったく楽しめないと思います。見ていない方はまずそれらを観てから臨むことをお勧めします。
久しぶりに観る、という方もおさらいしておいた方がいいでしょう。というのも、出てくるキーワードがほとんど説明なく進むので、理解しておかないと置いていかれます。
リザレクションズって見た方が良い? 更なる続編(5作目)はアリ?



4作目って、ぶっちゃけ良くないことが多いじゃん?
どうだったの?



僕の基本スタンスは、「楽しんだもん勝ち」。それもあって個人的には、『リザレクションズ』はアリだったな。
その理由は以降のネタバレで書かざるを得ないのですが、過去3作を覚えている方は観て損はないと思います。前回公開から17年も空いたからこそ、観る側の熱も適度に冷めていて、テーマ的にも受け止めやすくなっていると思います。
「観たけどつまんなかったよ!」という方は、すみません…。
でも、僕も5作目は絶対に要らないと思います。その理由もネタバレの項で述べます。
(ワーナーブラザーズはそれでも作れと言うのかもしれませんが…)
野球ボールに例えると
まったくネタバレなしに評価を伝えるのは難しいので、これまでのシリーズを野球の球種に例えるという無謀な試みに挑戦します。
1作目がストレート(王道!)
2作目がカーブ(曲げてきた!)
3作目がフォーク(見事に落ちた!)
だったのに対し、
4作目はチェンジアップという感じ。1作目の幻を活かした外し方です。



・・・?



これから詳細に触れていきます。またサナトが個人的に面白いと感じたポイントや、イマイチと思ったポイントを書いていきます
以降、ネタバレ注意!!
『マトリックス』1作目と4作目を比べてみる
トーマス・アンダーソンの課題感
冒険モノで主人公が日常世界から非日常へ移る場合には、動機やきっかけが必要です。それは主人公が抱えている課題であったり、または世界が解決しなければならない課題であることもあります。それが物語を動かす鍵です。我々は、導入部でその課題解決に共感することで、物語に没入するきっかけとなります。(なろう系は例外多し)
『リザレクションズ』ではどうでしょうか。
主人公トーマス・アンダーソン(ネオ)が抱えている課題は、
現在の人生がまやかしのように感じること。
1作目では、昼間は企業で働くSE系のプログラマー、夜は凄腕のハッカーであったトーマス。
それが今作では、転生して世界的なゲームプログラマーになっています。
しかも、『マトリックス』という三部作のゲームを輩出したという設定。アーキテクトの立場になったわけですね。過去の映画3つでネオとして戦った物語は、自分が空想してゲーム化したものだ、と思い込まされて生きています。
繰り返される日常に対して、漠然とした違和感を覚えているトーマス。
この世界は何かがおかしい。
そうした構図自体は1作目をなぞっているように見えます。
理想形がハッキリ分かるわけではない。しかし、「これが自分の歩むべき人生なのか?」「夢なんじゃないの、この人生」という感覚は、多くの人にとって共感できるものではないでしょうか。僕自身、コンプレックスにまみれて喘いでいる時は、世界と自分自身が合致しない感覚を抱いていました。だからこそ、一作目はドンピシャで当時の中学生だった自分に突き刺さりました(笑)。
しかし、今作では1作目と構図は似ていても、深い部分の課題感が違っています。
1作目のトーマスが抱いていたのは、「自分が暮らす世界(マトリックスの仮想現実)そのもの」に対する課題感。それに対して今作のトーマスは、「トリニティと一緒に居ない」ことが課題感となっています。リアリティの無さ、充実感の無さ、欠落感の原因が変わっているんですね。とても個人的な感情が動機なんです。
そして、1作目では不思議の国のアリスのように”トントン”拍子で異世界へ誘われました。今作はというと、トーマスは自身を「現実と夢想の区別がつかなくなった病人」だと信じており、なかなか覚醒に至れません。
これは彼の監視役である精神科医によって信じ込まされているもの。あとになって分かることですが、『レボリューションズ』の世界から60年が経過しており、精神は疲れ果て摩耗しています。精神科医が処方する薬の色は青。その薬は、1作目でモーフィアスが差し出したマトリックス(仮想現実)に留まり続ける選択の色にも見えます。トーマスは来る日も来る日も青の薬を飲み続けます。
トリニティと居たい、という課題の解消
「世界の真実を知りたい」、というより「トリニティと一緒に居たい、トリニティに選ばれたい」がトーマス(ネオ)の動機だから、全体的に主体性が無い印象を抱いてしまいます。彼女が記憶を取り戻し、仮想現実を捨てるかどうかは、トリニティにかかっています。彼の力の及ぶところではなく、実際、危うく捨てられかけます。後半の主人公はトリニティに移ったと言っても過言ではありません。
最終的に、トーマスが抱えていた課題感は解消されます。それは旧三部作と違い、人々が支配から解放されることではありませんでした。二人が救世主としてのアノマリーになることがゴールでした。
物語冒頭で、トーマスが開発していた新作ゲームのタイトルは『バイナリー』。これは「二つから成る」という意味です。どちらかが一方的に守られる存在ではなくなる。運命共同体として、同じ存在になる。そして、二人でいっしょに世界を再構築しに飛び立つ。これによって物語に当初から横たわっていた課題が解消され、ストーリーが結びになります。
トーマスの抱いた課題感に対して、もうこの先が無いんですね。
二人で居たい、という願いがこれ以上ない形で叶ってしまったから。
だから、サナトはこれ以上の続きは要らないんじゃないかと思います。
リザレクションズ 面白いと感じたポイント
ループものの面白さ
世界が1周する、というループものには不思議な魅力があります。特に同じような人生を何周も繰り返すパターンは、主人公も知らない本人の裏を知ったような感覚を視聴側に与えます。
また、違う人生を歩むキャラクターを見れるのも、ループものの醍醐味ですよね。元の人生の記憶をほぼ失って、まったく知らない人同士として元仲間がすれ違う。こういう話は類型が沢山あります。例えば、ジョジョの奇妙な冒険第6部「ストーンオーシャン」のラストシーンや、セーラームーンなどですね。
主人公たちの元の関係性を知っている我々は、早く関係性がもとに戻ってほしいと願い、記憶を思い出すだけでカタルシスを得ることができますね。
『リザレクションズ』も、ネオやトリニティが本来の自分に戻っていくシーンは感情を揺さぶられました。
物語構造の複雑さ、入れ子構造の妙
『リザレクションズ』は過去三部作に負けず劣らず、というか輪をかけて構成が複雑になっています。ですが、それがまた面白い。すごい野心作だと思います。
今作では”物語”を俯瞰する物語になっています。
マトリックスの三部作を、ゲームとしてみなす登場人物たち。ネオもトリニティもモーフィアスも、ゲームの中の架空の住人として認識しています。トーマスの勤めるゲーム会社は、出資者のワーナーブラザーズから、続編を作るようせっつかれており、生みの親であるトーマスを外す可能性もあるとのこと。これは言わずもがな、過去に映画三部作が大成功を収めたあとで、ウォシャウスキー監督らに対して言及されたことなのでしょう。
また、公開当時マトリックスの代名詞となった撮影技法「バレット・タイム」。これを、今作では敵が技の呼称として使ってきます。
こうしたメタ要素がふんだんに盛り込まれており、これを超メジャーな作品の正当続編でやるところが凄いと感じます。まるで、消費される映画自体をシニカルに笑い飛ばしているような、そんな感覚を覚えます。
前回から進んだと感じたポイント
個人と社会、人類と機械、味方と敵という対立構造が前三部作には見受けられました。人々を解き放つことで自由を手にする、という目的がありました。戦いの果て、三部作の最後では機械と融和したことで一応の決着を見ます。今作ではその流れを引き継いで、機械の恩恵を受けて暮らす姿が描かれたり、ネオやトリニティを再び培養機から救い出すのにロボットの手を借りもします。スミスが時にネオと戦い、時に助けに現れる場面が描かれます。また、ロボット同士が電力を争奪して戦争する場面もありました。
これは現実世界が単純な二項対立で片付けられるものではないことや、多様性そのものを描いているのだと思います。17年の時を経て進んだと感じられたポイントです。
リザレクションズ 個人的に今ひとつのポイント
愛は万能か?
ネオのモチベーションが個人的な愛であること。トリニティと一緒に居たいと願うこと。これは一度、『リローデッド』で通過した選択ではないかと思います。
2作目で、マトリックスのアーキテクト(設計者)と会話した際のこと。ネオは選択を迫られました。
右の扉を開けばソースコードに通じて全人類を救える(世界を再構築する)が、トリニティは失う。
左の扉を開けばトリニティは救えるかもしれないが、ほかの全人類は死滅する。
全人類の命運か、たった一人の恋人の命運か。究極の天秤です。
その話の時点で、マトリックスは過去5回再構築されています。その時は6回目でした。過去5人の救世主たちはみな右を選びました。全人類の方が大切だもんよ。
ところがその選択において、6人目の救世主ネオは左を選びました。
結果的にはこれで機械と融和するルートに進めました。主人公特権を発動して、愛の力ですべて解決。
しかし、そうまでして助けたトリニティですが、3作目の『レボリューションズ』ではまたまたピンチに。この繰り返しは、物語の構造上必要だったのだと感じます。
結局、物語終盤で彼女は死んでしまいます。ネオは悲しみに暮れながらも、トリニティから人類救済の願いを託され、最後の戦いへ歩を進めることを決意。究極の天秤にかけて、世界の再構築よりも価値があると思っていた彼女を失ってなお、前に進むことを決めたわけです。
これは個人的な感情を超越して人類だけでなく機械も救うという形で、目的がスケールアップしたように感じられました。
最後にネオはその身を犠牲にして世界を救いました。三部作はそこで終了。
それが今回。人類を危険に晒すことになってもいいのかと問われて、やはりネオは今回もトリニティを取ろうとしました。
これには一度通過した地点に、もう一度戻るような感覚を覚えました。あの三部作の続きとしては、どうしても感情移入しづらいものがあります。個人的に。
アクションに対する期待値が高すぎた?
これは演者の年齢によるものなのか、敢えてなのか。
カンフーもその他のアクションについても、全体的に物足りなさを感じました。
今作のネオは、銃弾を止めたり曲げたりすることは出来ますが、空を飛ぶのは「まだ無理」な状態。
そのため後半はずっと両手をかざしてサイキックソルジャーのように戦っていました。
この点は少々期待を下回るものでした…。
総括
以上、『マトリックス・リザレクションズ』についてのレビューでした。
- 個人的にはアリ
- トーマスの抱える課題感が1作目と4作目で変化
- その課題を解消したので5作目は不要
- 多様性など、現代の価値観を反映した描写
- 愛で解決、アクションの中身に少し不満
あなたはどのような感想を抱いたでしょうか。
まだ僕も一回見ただけの感想なので、もしかしたら後日配信などで見た際に上書きをするかもしれません。また、記憶違いや間違いがあったら是非ご指摘をお願いいたします。
暇つぶしになっていれば幸いです。
明日もあなたにとって良い日になりますように!
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